極楽寺開基/粟屋道性は安徳帝50回忌法会に出勤。1256年、阿弥陀堂を建立。しかし道性没後より世上不穏、法義相続も絶え絶えとなりました。
道性の9代孫の粟屋主計頭源道善は南部山城(南部町付近に築城)城主で、領主を元久に譲り本願寺の実如上人の弟子となり、阿弥陀堂を再建。
しかし、1518年、阿弥陀寺町大火で消失。後、御堂を再々建。
1641年8月22日、「極楽寺」寺号公称が許可。
1863年6月15日、道善より数え11代の粟屋道性の時、奇兵隊の陣がおかれました。
シーボルトの江戸参府紀行に、「極楽寺即ち極楽浄土の寺」と紹介された伽藍も、昭和20年7月2日、第2次大戦の下関空襲で焼失。
昭和48年に六角形の御堂を、昭和60年に庫裏を、再建。親鸞聖人750回大遠忌を縁に、平成20年2月に御堂大修復。新御堂に於いて法義相続が成されています。
―景もよし 涼しさもよし 極楽寺― (毛利隠岐守就頼)